あじさいの秘密
- 平井一郁
- 8月11日
- 読了時間: 2分
ある日、アージョにご夫婦のお客様が来られた。
アロマハンドトリートメントで癒されながら、
ふと紫陽花の話題になった。
――義母が元気だった頃、家の前には、
道路を越えるほどの紫陽花が咲き誇っていた。
花の季節になると、
青や紫、桃色…色とりどりの花房が風に揺れ、
ご近所の人々も足を止めて眺めたという。

義母は、花が終わると、根元から迷いなく切り落とした。
それでも翌年には、変わらぬ勢いで花を咲かせる
――まるで生命そのものを体現するように。
しかし月日が流れ、義母が亡くなってからは、
同じように世話をしても紫陽花は咲かなくなった。
水も、陽ざしも、手のかけ方も変わらないのに。
その庭には、もう十年も命をつなぐ薔薇がある。
何度も枯れそうになりながらも、細い枝先に必ず花を咲かせる。
その姿は、ひたむきに家族を見守るようだった。
義母は生前、
窓から外に出かける家族をそっと見送ってくれたという。
私は、その姿とバラを重ねた。
――紫陽花は、自分のエネルギーを薔薇に託したのではないだろうか。
だからこそ、自ら花を咲かせることをやめ、薔薇を支えているのかもしれない。
「でも、その薔薇が枯れたら…」と奥様がつぶやく。
私は静かに答えた。「それはね、義母さんが『もう大丈夫』と思えたとき。
見守る役目を終えて、新たな世界に旅立たれる瞬間なんです」
ご夫婦の表情がふっと和らぎ、
店の空気がやわらかくほどけていった。
――あじさいの秘密。
それは、花を咲かせないという選択に込められた、
静かな祈りなのかもしれない。
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